【SAD】当時の考え方

どうも、カラス君です。

 

以前あがり症から社交不安障害【SAD】を併発させて大分参っていた時期がありましたが、その時の自身の症状の受け取り方について書いていこうかなと思います。

 

多分、多くの人は「自分自身が精神的な障がいを持っている」というのを心のどこかで認めたくないと思うんです。認めてしまったら何か自分の大事な芯が変わってしまうような、自分が思う”普通の人間”との間に大きな溝ができてしまう感覚でしょうか。

 

そういう感覚すごくわかるんです。わかるんですけど辛いんですね。だってどう考えても自分自身は普通じゃない、明らかに普通の人に比べてハンデを背負っている。それなのにそれを認めない。自分に鞭打ってる感覚に近いです。

 

なので、当時はもうそれを受け入れていました。もう「私は障がいを持っている。だから普通の人ができて当たり前の事ができなくて当然。逆にできたならそれは障がいでもなんでもない」という風に、自分の弱い部分を認めてあげると、かなり心が楽になりました

 

プライドももちろんありましたし、認めたくない気持ちもありました。が、そんなものは障がいの前には本当にちっぽけなものでした

 

逆に、自分自身を一種の「精神疾患を患っている一人間だ」としっかりと自覚した事で、変な気負いもなくなり治療や改善に邁進できたように思えます。たかが一つの考え方、されど一つの考え方。見方を変えるだけでがらっと何か大きな”モノ”が変わる事があります

 

この私の当時の病気に対する割り切った考え方は、私の人生観を広めてくれたように思えます。人間万事塞翁が馬、乾坤一擲、そんな人生でいいんじゃないかと。ガチガチの完璧主義からマイペースに人生を生きるきっかけになった、そんな考え方です

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